Office D ほっとカフェは、弊社の海外生活カウンセラーが海外生活の実体験を元に、

海外での教育事情や帰国後の生活などを綴ったものです。

今回、本文を書くにあたり、色々なことを思い起こしましたが、私の海外生活はほとんど子供の学校の送り迎えに追われた生活だったとつくづく思いました。それと同時に思ったのは、娘はさぞかし大変だったのだろう とも・・・・・・。

それでは、赴任が決まった2007年から始めましょう。

中学受験で苦労して入った中学を入学後1年3か月で退学することになり、ショックを受けている私とは正反対に、娘はアメリカ行きを軽い気持ちで受け入れたのにはとても驚きました。
おそらく娘は、その後の英語や塾通いでつらいことになるなど、まったく想像していなかったのでしょう。

ここから、初めてのアメリカ生活がスタートします。

娘にとっては帰国後の大学受験を見据えた現地校へのチャレンジの始まりです。
アメリカの公立学校は、地域によって大きな差があります。
高級住宅地の集まる地区の学校は、施設も整っていて、親の活動も 活発なため、必然的にレベルが高くなります。学校の設備などの良し悪しで学習環境も違ってきます。

海外生活カウンセラーとしてお子様の学校選択の時には、住居選択と学校区の関係は必ずお伝えしています。
住居を決めるときには、どのような学校区であるのかを調べることから始めます。
州や学区によって、学制は6-2-4制、5-3-4制とあるようですが、ハイスクールは一般的に4年制で、日本の中学3年生から高校3年生に該当します。

カリフォルニア州での一年(娘はハイスクール9年生 ) 

娘が通うことになった学校区は、カリフォルニア州アーバインです。
日本人駐在員も多く住み、学校のESLクラスも充実していました。 パームツリーに囲まれた明るく広いキャンパスはとても印象的でした。

ESL:English as a Second Languageの略
英語を母語としない人のための英語教育を指す。

渡米後、2週間足らずで、現地校の新学期が始まるため、急いで入学準備を整えました。
まずは、日本で用意してきた成績証明書などに加え、現地校が指定する入学書類、そしてホームドクターを決めて健康診断書や予防接種証明書なども用意しました。
ESLクラスに入るための英語のレベルチェックテストを受け、学校カウンセラーとの面談もありました。慣れない土地での生活準備や車の運転、引越し荷物の整理にも追われ、親子共々息をつく間もない忙しさでした。

娘は年齢的には、アメリカのハイスクール9年生でしたが、英語力を考慮し8年生(ミドルスクール)への入学を薦められました。 
しかし赴任期間が3~4年の予定であったため、ハイスクールの卒業を目指し、学校の許可を得て、9年生(ハイスクール)へ入学することを選択しました。 ほとんどの日本からの生徒が下の学年を選択する中、とても難しい決断でした。 

娘が通った学校区の場合、体育以外はすべての教科がESLクラスで行われ、現地の高校生と一緒の授業はありませんでした。

ESLの間は、その単位が成績に反映されないため、初めの一年間は高校卒業に必要な単位を取ることができず、ハイスクール4年間で必要とされる卒業の単位を3年間で取得しなければなりませんでした。
娘にとって、1年目はとにかく英語に慣れ、学校生活に馴染むことが目標でした。 ESLクラスには日本人数名のほか、中国や韓国などアジアの国々から来た生徒も多かったためか、親しみやすく、楽しく過ごすことができた様です。 
ただ、英語を母国語としない学生ばかりのESLクラスですから、英語を学ぶ環境としてはあまり良いとは言えなかったと思います。
2~3か月ほどで生活が落ち着き、現地校以外に毎週土曜日には日本人学校補習校に通いました、またアメリカ人の家庭教師に英会話を習い、日系の塾にも通いました。
アーバイン地区では3~4校の日系の塾があります。

中・高受験や大学受験を控える生徒たちは、家庭教師や個人塾あるいは大手の塾などから選択し通っていました。
親の大切な役目は、車での送迎です。これもなかなか大変でした。 
スクールバスのない学校で、毎日車で学校の送迎が必要だったからです。また、塾に行くにも友人と遊ぶにも、全て移動は車で送迎です。一日に何度も駐車場から車を出し入れしたことでしょう。赴任前には、かなり不安だった左ハンドルでの運転もあっという間に慣れました。5車線もあるフリーウエイに初めはビクビクでしたが、人間は、そうも言っていられない状況におかれると、強くなれるものですね。(火事場の馬鹿力でしょうか!)
どこに行くにも送迎が基本なので、子供にとっては、自由に行動できないというストレスもかなりあったようです。

今度はニューヨークへ転勤に!

ようやく1年が過ぎようとした頃、娘の送迎の合間には、私自身も英会話や習い事をする余裕も出てきました。ところが、何とそんな頃に主人の転勤が決まり、今度はNY州へ赴任することになったのです。

 

 

NY州での3年間が始まりました!
1年目(娘はハイスクール10年生)

私たち家族にとって、まさかの転勤で西海岸から東海岸へ。
NY州の郊外ウエストチェスターに引越ししました。
ウサギやリスが家の周りにいるようなのどかな町です。
同じアメリカでも州が変われば、気候も町の雰囲気もこんなに違うのかと驚きました。
もちろん、学校の制度も全く違いました。

娘はカリフォルニアでは1年間毎日、ESLのクラスで同じ英語レベルのクラスメイトと何のストレスもなく過ごしてきました。しかしNYでは、そうはいきませんでした。1日2~3時間のESLのクラス以外は、現地の高校生と同じレギュラークラスを取り、3年間で卒業に必要な単位を取得しなければいけませんでした。
またNY州では、高校を卒業するのに、一般のアメリカ人高校生と同様に、州が定めた卒業試験に合格する必要がありました。(州によって違いがあります)

娘はまだまだ英語のレベルは低く、さあ、大変。 
一般の生徒同様、宿題、授業、試験をクリアーするには、とても大変でした。
まずは、日本語の話せるバイリンガルの家庭教師を頼み宿題を見てもらい、同時に日系の塾にも通いました。

ESLクラスの先生にもかなりお世話になったようです。学校と家と塾との往復で1日が終わるという生活でした。
ウエストチェスター地区では日本の駐在家族が多いため、日系の塾はアーバイン同様4~5校ありました。

アメリカでの転校という経験や、環境の変化、英語など 数えきれないストレスを抱えて過ごした毎日を振り返り、現在大学生の娘は、「あの頃は、何度泣いたことかわからない」と言っています。

ほとんどの日本人生徒は、駐在期間の関係で、途中で帰国してしまうことが多いので、卒業に必要な単位や試験は関係ありません。
しかし、英語が話せない中高生を帯同しての3~4年間の海外駐在でハイスクールを卒業する場合には、本人のやる気と我慢強さがかなり必要かもしれません。

NY生活2年~3年目(娘はハイスクール11年生~12年生)

娘は学校生活にも慣れ、ずいぶんと余裕が出てきました。 授業にも完璧ではないのですが、ついていけるようになっていました。テニス部にも参加したり、ボランティア活動にも積極的に参加していました。

やっと落ち着いたと思ったのも束の間。今度は大学受験準備に突入です。
現地の高校生は、11年生になると大学受験に必要なSATという統一試験を受験し、そのスコアと学校での成績、ボランティアなどの経験などを総合して大学受験に臨み、早い人では卒業年の前年の11月か12月には合格をもらいます。進学先が決まると、卒業までの半年は現地の高校生にとってはパラダイスのようです。

SAT:Scholastic Assessment Testの略

それに反して日本の大学を帰国子女として受験する日本人生徒というと、大学受験はほとんどが卒業後ですから、遊びに夢中なアメリカ人を横目に受験勉強をしなければいけない状況です。

日本の大学受験に必要となるのは志望大学によっても違いますが、アメリカ統一試験SATスコアとTOEFLスコア、そして当日の試験結果です。(SAT,TOEFLは、大学によって必要のないこともあります)
ということで娘の塾通いがさらに過酷になっていきました。娘は12年生になると、1年に7回行われるSATをすべて受験し、卒業後その中の最高得点を志望大学に提出しました。
TOEFLに関しては、場所によっては月に何度も実施されていますから、娘の都合に合わせて何度も受験しました。なかなか上がらないスコアに親子でイライラしたものです。

いよいよ卒業、帰国そして日本での受験

NYでの3年を終え、娘は無事卒業することができました 近くの大学で行われた卒業式では、アカデミックドレスというガウンと正方形の角帽に身を包み、
緊張した面持ちで整列している姿がとても立派に見えました。 
4年間の苦労が報われた瞬間でした。

娘は卒業式の翌日、ゆっくりお祝いする暇もなく、一足先に日本へ帰国しました。
今度は、日本での受験の準備。9月頃から始まる私立大学受験に備え、日本での予備校通いが始まったのです。
慣れない学生会館での一人暮らしをしながら受験準備をし、何とか志望大学に合格をいただきました。
今は大学生活をおもいっきりエンジョイしています。
アメリカで体験したことは、娘にとって大きな、大きな自信になると信じています。

国は違っても、海外生活の経験はあるし(海外生活カウンセラーでもある)、日本からも近く、情報にはことかかなかったので「わかったつもり」になっていた。しかし、そうはいかなかった。初めての中国、上海で感じた空気感は強烈だった。
赴任前に私の頭に詰め込まれた情報は一蹴してしまった。
日本で見ていた中国と、現地で暮らす中国には大きな違いがあった。
今、上海生活7ヶ月が過ぎ、今日までに感じたことをお伝えします。
海外生活カウンセラーとして、これから赴任する方へ少しでもヒントになればと思っています。

2011年の8月 上海虹橋国際空港に到着!

五感で感じた第一印象

触覚:湿度が高く、蒸し暑い 視覚:外の風景が埃にまみれて白っぽい
嗅覚:香辛料の独特の臭い 聴覚:到着客を捜し求める人々の大きな声と喧騒
味覚は未経験  

加えて、古い施設とは対照的に、活気のあるエネルギーに溢れた人人人。
あまりにも本能むき出しに感じて、私は、少し引いてしまった。

タクシーで自宅に向かえば、安全シートベルトはなし、猛スピードで傍若無人に疾走する車、間一髪の危機に肝を冷やしながら、自宅のマンションに到着。
羽田からたった3時間弱なのに、すでに気力が吸い取られてしまった自分がいた。

夜になると、周辺は派手にライトアップされ、以前ラスベガスで見た夜景がダブって見えた。

エネルギー消費フル回転。 震災で省エネの為節電していた東京とは一転変わって、別世界。
とても不思議な感じで私の上海生活は始まった。

生活立ち上げからやってくる難題と対策

その一:
英語が通じない。
有名ホテルや日本人向けのマンションは別にして、ほとんど通じない。
自分の言いたいことが言えない悔しさを感じたら、チャンス。中国語修得の大きなモチベーションになる。
その二:
住み始めて起きる部屋の水漏れやトラブル。
完璧は期待せず、故障の修理を重ねて
自力で快適な暮らしを作る覚悟が必要。
その三:
初日に感じた冷や冷やものの交通ルール。
自分の身は自分で守るしかない。
動体視力を鍛えて、道路を渡るときは邪念を捨て、神経を集中する。

とは言っても、ここまで気持ちを整理できるようになったのはごく最近のことだ。

空港到着でカルチャ―ショックを受けた当初は、ほぼ1ヶ月間家に引きこもり、思考停止状態だった。帰宅する夫に愚痴のオンパレード。行き場のない感情をもて余していた。
さらに、インターナショナルスクールに通い始めた娘の心労に寄り添う気持ちなど皆無。
今思えば、娘には悪いことをしたと思っている。

一体何故こんなに不満を感じたのか? 答えは簡単だった。

その一: 情報で頭でっかちになった自分と日本流ライフスタイルへの固持

ネットで調べて「わかったつもり」と「本当にわかる」ことの決定的な違い。
生身の人間同士の触れ合いでしかわかり合えない事がある。
中国の風土に合わせて、発想・視点を変える柔軟な姿勢こそ必要だった。
親切な中国人はまわりにたくさんいる。日本流に察して欲しいと、身勝手な期待をせず、もっと気楽に率直に伝えればいいのだ。

その二: 外国にいるという自覚とこの国に生活させてもらうという感謝の念を少し忘れていた。

これぞ異文化での暮らしである

同じアジアの国で、外見が似ているがゆえに、価値観が違うことに衝撃を受けることがたくさんある。しかし、自分こそが外国人で、この地に数年住ませてもらうという謙虚な姿勢を忘れてはいけなかったのだ。

これからもいろんな発見、感動、失敗もあるだろう。

何はともあれ、ぐんぐん惹かれていくエネルギッシュなこの街をもっと楽しんでみたい。

高成長を続ける中国、スピードが速すぎて追いつかないが、それもだんだんと慣れてくることを期待して。

News!
我が家の目の前に「上海 高島屋」が建設中だ。
昨年の夏、初めて見たときはまだ外枠しかなかったのに、あっという間に完成した。
これから内装を整え今年の夏にオープンするらしい。

「海外赴任に持っていくと良いものは何ですか?」と、仕事上でお会いする赴任者によく聞かれます。いまや特別な地域を除き、世界中で、大抵の物は手に入るようになりました。むしろ、情報や物品があふれている今であるからこそ、携えていただきたいものは「心構え」と言えるのではないでしょうか。是非持って行っていただきたい、4つの心構えについてお話しいたします。

1.好奇心を持って出かけよう! 

テレビ、本などから、海外の情報は毎日発信されています。なんだか知った気分になってしまいがちです。しかし、暮らしてみれば、そこは異国、異文化の国です。トラブルも起こるかもしれませんが、「振り返れば、トラブルが一番の良い思い出となった」とは、多くの海外生活経験者が語ることです。こんなに違っていて「イヤ!」より、こんなに違っていて「面白い!」と好奇心を持って暮らしを始めてください。

2.大人のお付き合いを心がけよう!

海外に出て気づくのは、意外に小さい日本人社会でしょう。賢く、明るく、大人のお付き合いが出来るよう心構えを忘れずに。他人を尊重する態度は、異文化の人たちへの理解も深めていくのに違いありません。

3.人生プランを持っていこう!

あなたは海外に何年滞在予定ですか?人生航路上の何年かの海外暮らしです。家族全員が、その年数分、年を重ねます。滞在中に何を得るのか。
帰国時にどうなっていたいのか。小さなことで良いのです、何か目標を持っ
て旅立ちましょう。海外生活は家族の絆を深める良い機会でもあるのです。

4.健康な身体と心を持っていこう!

日本とは気候の違う海外暮らしです。好奇心も、大人の付き合いも、人生プランも、健康な心と身体があってこそ成り立ちます。日常生活に気をつけ、健康チェックも怠りませんように。また、日本ほど安全な国は他にはありません。現地の情報に従い、自分の身体は自分で守る意識を常にお持ちになって下さい。

以上「4つの心構え」を持って、心も軽く、新しい生活に向けてご出発下さい。楽しい思い出がたくさん出来ますように。

ニュージーランド夏の情景

ニュージーランドの夏南半球のニュージーランドは夏の真っ盛り、「夕方の楽しみ」のお話をご紹介します。
昼間の強い日差しを避け、日が傾き始めた6時過ぎ、夕食の下ごしらえを終え、住まいの前の通りの向こうにある、ハミルトンレイクに出てみる。

湖とはいえ、水深は池程度のレイクは、水鳥のサンクチュアリー。
外敵となる動物がほとんどと言って無い(その昔、開拓者によってテンなどが持ち込まれたとか)
ニュージーでは、湖岸の水位に合わせ、それぞれの場所に多種の鳥が遊ぶ。
この国に飛べない鳥が多いのは、外敵がいないからなのか。

なかでも私のお気に入りはプケコという鳥。プコケという鳥

鶏大で、ブルーの体、黒い羽根、口ばしと脚と目が赤、という、何ともかわいくない姿で、最初はなじめなかったが、鶏と同じような独特な歩き方の様子がかわいく、今はハミルトンレイクのスターと私は思っている。
6時過ぎと言っても太陽はまだ高く、日差しは強いが、それでも湖面を渡る風は涼しく、多数の車が整備された外周道路の駐車場に停まり、車内で、また湖畔の芝生でと、早い夕食をとる人たちも多い。
カモ達がその周りをぐるりと取り囲み、おこぼれをじっと待っている姿も面白い。

ハミルトンレイクハミルトンレイク

外周3キロをめぐるウォークウェイは格好のトレーニング場で、ジョギングする人、ウォーキングする人、老若男女がそれぞれのスタイルで湖畔をめぐる。一度すれ違った人と、また反対側で出会ったりするのも楽しい。

歩いていけば葦の群生から小さいウサギが逃げるでもなく顔をのぞかせ、写真を撮る人、湖にカヌーやヨットを浮かべる人、
さまざまな形でこの湖は町の人の憩いの場所であるようだ。

一時間ほどで湖畔を回り、帰途につくころにも、太陽はまだ上にある、湖面は銀色に輝き、風は木々の香りに花の甘い香りが加わり、なんとも清々しい.美しい夏のひと時である。

海外子育てin Malaysia (2)

親の目線

「帰国子女という経験」

小学2年で帰国したために、帰国子女というほど誇れる何かを得てきたわけではなかった。
そんな中で、一番に考えたのは、この経験を彼女の中に生かし続けること。

少し変わった発想や価値観は、海外育ちならではと思い、尊重し否定は決してしなかった。

日本の儀式、歴史、価値観は四季折々の行事をこなしながら、一つ一つ丁寧に説明することを心がけた。一般常識とは、ずれていたかもしれない。

「中学から新しい環境へ」

中学進学を前に、再度学校について考えてみた。           
新しい日本の学校にも、努力して慣れることはできた。          
だが、窮屈な感じは捨てきれなかったようだ。              
もっと世界を広げたいと娘も親も考えるようになった。          
そして、帰国子女が多く、娘とタイプが似ている人の多い学校にめぐり合うことができた。
相変わらず帰国子女らしい考え方。日本で幼稚園の年少から育った次女とは発想が違う。

自分の個性を押し殺さなくても受け入れられる環境を得たことにより、マレーシアにいた頃のような明るい表情を取り戻した。

娘との対話

新しい生活になじむ。それは、日本人であることそして自分の立ち居地を認識することです。

その地に根を下ろす努力をせずに、「また海外に行けばいい」 
「違う環境に行けばよい」と簡単に娘が口にすることが何度かあった。 
私たちは乗り越えることの重要性を教え、話し合い、本人が解決 できるように導いていった。

親の姿勢

現実逃避はしない

子供を根無し草にしない

乗り越えることができたとき、精神面も強くなり、どんな環境にも適応していく努力ができるようになったと感じた。

「現在は高校1年生」

英語部に所属。文化祭では英語でミュージカルの舞台をする予定。
国際コースを専攻 英語の授業はnativeの外国人の先生が担当。
しかし、大学受験を目指すには、生きた英語だけでは追いつかない。
日本での英語学習方法に慣れるのに時間がかかった。

☆将来の夢は、プロデューサーになること

物を作り上げていくことがとても好き。一人ではなく、力を合わせて作り上げていく。

夢の実現のために、親は常に「ヴァーチャルではなくライヴで」を心がけている。
子どもだけでは触れられない、見られないものを肌で感じる機会を提供する。
本物に触れることを大切にする。

驚き            
3歳~7歳までの海外生活が、彼女の人生のベースになっているということ

まだまだ小さな子どもと言われる時期の体験が、ここまで大きな影響を与えることになるとは驚きである。
これからも、私たちは娘とたくさん会話をしていき、成長を見守りたいと思っている。

海外子育てin Malaysia (1)

海外生活カウンセラーならではの視点で、これから海外赴任にお出かけになる
ご赴任者とそのご家族に、ぜひ伝えたい「海外子育ての経験と現在の子供たち」について書きました。

娘が3歳のとき、家族3人揃ってマレーシアに赴任

マレーシアで次女を出産、そして4年が過ぎ日本への帰国は家族4人になりました。

娘たちには世界中どこに行っても、直ぐに覚えてもらえる名前をつけました。
小さい頃から、親の趣味で見せるビデオはディズニーのものばかり。
声優が良いからという理由だけで、英語版を見せていた。
ほんの少しだけ、耳から英語が入っていくことを期待しながら。

登場人物

長女

東京生まれ。3歳~7歳までマレーシア・クアラルンプールで過ごす。
インターナショナルスクールに3年在籍。
Grade2を終えて日本に帰国。
帰国後、都内私立小学校 2年生に編入。都内私立中高一貫校に入学
現在、高校一年生。

次女

*次女に関する「出産・子育て情報」は別途掲載します。
マレーシア生まれ。3歳までマレーシア・クアラルンプールで過ごす。
ローカルナーサリーに1年半通う。
帰国後、都内私立幼稚園年少組に編入。
現在小学校六年生。

赴任前

準備したこと

・現地の幼稚園のことを調べる  
・船便の荷造り

私自身は、仕事で何度もクアラルンプールは訪れていたので不安は全くなかった、
逆に仕事をしていた時に戻るような錯覚になり、うきうき、新しい生活が始まることをとても前向きに考えていた。
近くに住んでいた友達が翌年の春から入園する幼稚園選びに四苦八苦しているのに、私はのんびりと過ごしていた。

赴任が決まって調べたのは、子供の幼稚園のことくらい。
日本人会幼稚園ができたということ、住居を決めたコンドミニアムの近くに、同じ会社の方々のお子さんが通っているプレスクールがあるということを知りました。

肝炎や狂犬病の予防接種も全く受けなかった。

船便にたくさん入れたものは、海外では手に入りにくいと思い子どもの絵本と。娘が大好きなかんてん(寒天)ぱぱとゼリー

異国に行くので、子どもには自分の国を忘れて欲しくないと考え、お雛様、和食器、ゆかた、折り紙など日本を感じられるものを荷物に入れた。
これらは、インターナショナルスクールに編入した後にとても役に立つこととなった。

赴任

12月 一家3人 マレーシアへの旅立ち

「ふと感じる孤独と焦り」

出発前はとても忙しい毎日。何とかそれをこなし、クアラルンプールに到着。

赴任前には何の不安もなかったのに、「私はここで何をしたら良いのだろう!」という不安がよぎった。

日本人学校のスクールバスは午前7時過ぎにコンドミニアムを出発。
子供が帰ってくるのは日本人学校の送迎バスで、3時または5時に学校を出発するバスのため、何とも夢のような自由時間。メイドを雇えば家事からは解放される楽しい時間のはずなのに。
駐車場を見ると車が1台もいない、昼間のコンドミニアムには誰もいない。
そして、私はふと孤独と焦りを感じた。

「はじめての選択」 ‐プレスクールに編入‐
12月中旬
ZAIKARIM Schoolホリデースクールから参加
翌年の1月
Upper Nursery Classに編入
9月
Reception Class
6月
Reception Class終了

ローカルナーサリー・プレスクールとは
・原則として1歳半から入園可能で小学校入学迄
・Full Day :8:00 – 17:00
*14:00以降は何時でもピックアップできる
・Half Day:8:00‐13:00 ,14:00
・朝食、10:時にスナック(各自持参)、ランチ
午後にシャワーとお昼寝

長女の通ったナーサリー(プレスクール)は、バングサ地区にあり、カリキュラムはイギリス式(英会話、英語の歌、アルファベット、英語での図工、計算など)
インターナショナルスクールへ進むための、ベースはこのときにできたと思う。

先生はマレーシア人、中国系マレーシア人。
授業は英語。ローカルプレスクールは勉強中心。
生徒は、裕福なマレー人家庭の子ども、中国人、駐在員の子どもなど。

驚き

意外なことに勉強中心。日本は教育熱心という考え方が音を立てて崩れた。

プレスクールには通わせ始めたが、幼稚園に関してはまだ結論を出していなかった。
できたばかりでとても評判の良い日本人会幼稚園は、4月入園の年少の募集は締め切っていて、キャンセル待ちの状態。このままローカルスクールに通わせるか、日本人会幼稚園に行かせるのか、結論はギリギリの3月となった。

「日本にいるときよりも、夫婦でたくさん話し合う」

幼稚園をどちらにするかは、相当時間をかけて夫婦で話し合うことになった。
どちらも一長一短。海外に住んでいても私たち家族はいずれ日本に戻る [日本人]。
でも、せっかく海外で生活をしているのだから、色々な経験をしたほうが良い。
ローカルプレスクールから日本人の幼稚園に変わるのは、たやすいけれども、反対はとてもハードルが高い。軌道修正はいつでもできるので、むしろ選択肢を沢山持たせたいという理由で、ローカルプレスクールにそのまま通わせるという決断を下した。
もちろん、充分に夫婦で話し合った。

「2度目の選択」  ―インターナショナルスクールに編入―

驚き

マレーシアのプレスクール・ナーサリーは、先生の移動も多く、経営者もよく変わる。

娘が通い始めて1年が過ぎた頃のことだった。2つあった校舎が1つにまとめられた。
とても慕っていた先生がお辞めになった。スクールの雰囲気が少しずつ変わっていったように感じた。
当然のことながら校舎が半分になったので、子供たちにとって環境は悪くなった。狭いところに押し込まれ、トイレも少なく、衛生面も不安になった。
さまざまな理由が重なり、新たな学校探しが始まった。
友人の紹介で、モントキアラ・インターナショナルスクールに見学に行ってみた。
ゆったりとした空間、風が通り抜けるコートヤード、ブリーズウェイ、光がよく入る教室、校長先生
の人柄、全てに魅力を感じて即決。娘も無事にインタビューを一回でパスし、8月からの入学が決
まり、Kindergarden(日本の幼稚園年長)クラスに編入する。
3年後 Grade2 終了後、日本に帰国となる

「親子で努力」

子どもは環境に慣れるのはあっという間。
でも言語の取得には時間がかかる。
言葉が通じずにストレスを感じるのは子どもでも十分起こること。
環境に慣れること、言葉を習得すること、親のバックアップが必要。
先生にも積極的に働きかける。以心伝心はなく、言わなければ伝わらない。

親が参加できる行事には必ず参加する。ボランティアも積極的に。
身近に親を感じることにより、子どもは安心し、早く環境になれることができる。

帰国前本帰国まで1年を切った頃から、だんだん帰国後の学校のことが気になりだす。
帰国時のパターン

①家族全員一緒に帰国
②受験のため母子のみ先行帰国
③受験を終え、学校が確定した後、母子のみ帰国。
④受験を終え、学校が確定した後、子どものみ帰国
⑤赴任期間終了後、父のみ帰国。母子は現地にて学校に通う。
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私たち家族は、①を選びました。
お子様の年齢によっては、②③を選ぶこともあります。
④はお勧めできないパターン。
海外にいるときには、有名私立中学に合格したら、子どもだけを帰国させ、祖父母宅から通わせるということに、全く違和感はなかった。
しかし、子どもの精神面を考えると絶対にお勧めできない。
親から離れるストレス、新しい学校になれるためへのストレス、何よりも、日本人に戻るためのストレスが大きい。近くにいて細かくフォローすることは祖父母にはできない。

⑤は、子どもが高校生の場合などに考えられるパターン
高校生になると、義務教育ではないため、編入できる学校が少なくなる。
また、大学の帰国子女受験を考えている場合、滞在年数の要件を満たすために、現地に残るケースもある。ただし、この場合、滞在費、学費は全て自己負担になる。ビザも学生ビザを取り直すなど事務手続きも全て自分でしなければならない。

「帰国に向け準備をスタート」

一時帰国したときには、学校に関する本を調達。
直接学校に連絡をし、アポイントメントが取れたら訪問してみた。
面談の際には、海外でどんな経験をしているか、なぜ訪問したかをこちらからアピールした。
その結果、受け入れに前向きな答を引き出せた学校もあった。

インターナショナルスクールに通っていたが、日本人の友達との交流も大切にしていたため、日常会話には何の問題もなかったが、文字を書くことには不安があった。
クアラルンプールには補習校がない。小学校2年までの国語教育を家で補わなければならないことに気づき、教材を調達。日本語の勉強が始まる。

一時帰国の後、マレーシアに戻ってからは本当に忙しい毎日を過ごす。
マレーシアでしかできないこと。世界各国から来ているお友達とのコミュニケーション。
帰国後のために必要なことの勉強など。

そして、4年のマレーシアでの生活を終え、6月に帰国

帰国後

日本に帰国後、自宅近くの公立小学校に編入。

帰国編入試験が夏休み期間中のため、まずは公立小学校に通うことになった。

驚き 

初めて教室に入った娘が言った一言

「みんな髪の毛が黒い」

「ハリーポッターが通じない」和製英語の発音ができないため、話についていけない。

少し慣れた娘が言った一言

「どうして下の名前でなく○○さんと呼ばれるの?」

9月 都内私立小学校に帰国子女枠にて編入

初めての面談で先生に言われた一言!

驚き

「日本の学校では、ビシッとしなければいけない時や場合があるのに、・・さんは、一人だけ妙に明るいですね」

帰国後、編入した小学校は、英語教育に力を入れている。編入試験を受けるまでに何度も学校を訪問し、面談も行なった。
英語力の保持に期待をしていたが、英語の授業は低学年には実施されておらず、手伝って欲しいと言われていた英語朝礼への参加要請も1回きり。宣伝と実態の違いに落胆した。

「異文化に苦労」

インターナショナルスクールにいたときは、「国籍」「国民性」というものを意識して生活していた。日本ではそれらがタブーとされていることが娘はわからず、ふとした一言を「差別発言」と決めつけられ、担任の先生からひどく怒られたことがあった。
*後に、先生にはそのことについて私たち親から理由を説明し、納得してもらった。

平等や和を重んじる日本の教育は、人と違うことを隠すことから始まる。
個性を隠し、目立たないようにする。自己主張をしてコミュニケーションをとってきた海外生活とは正反対になってしまった。

親の反省

日本人であることを再認識して欲しかったので、厳しい私立学校を選んだ。
このことがインターナショナルスクールで伸び伸びと育った娘を混乱させてしまったことは間違いない。

「英語力の保持について」

海外子女教育振興財団の外国語保持教室に帰国後中学入学まで通っていた。
週に一度でも、nativeの英語に触れることを目的とし通わせていたが、本人はあまり真剣に英語に取り組もうという意思は無かったようだ。
公文の英語に週2回通い、文法等を学んだ。
これも、進度が速い割には、効果があったようには思えなかった。

本人が唯一誇れたのは、発音。
親としては、これを維持することを第一に考えた。

英検は帰国後直ぐに、5級からスタート。

4年生の2月に準2級に合格。
小学校卒業までに2級に合格することを目標としていたが、中学受験準備のため延期。
(実際には中学3年5月に合格。)
準1級受験は今のところ未定。現在はTOEICに挑戦することを目標としている。